バプテスト信仰告白
- イエスがその信じる者を愛されているように、互いに愛し合うことは、私たちの弟子精神を明らかにし、神に対する私たちの愛を証明する。そして、そのように互いに愛し合うことは、新約教会としての私たちの権威を裏付けている。それゆえ、愛することは、主イエス・キリストの偉大なる戒めであり、その他のすべての戒めがこれにかかっている。(マタイ22:35-40; ヨハネ13:34,35; 15:12; 第1ヨハネ4:7-21; 5:1-3; ヨハネの黙示録2:4,5)
- 聖書全体がその原典に於いて完全なる逐語霊感と無謬性を有しており、聖書は信仰と実践の完全かつ十分なる規範である。(詩篇119:160; 第2テモテ3:16,17)
- 人格的な三位一体なる神。父・子・聖霊の三位が、神性に於いて等しく完全である。(マタイ28:19)
- 創世記に於ける天地創造の文字通りの歴史的記述。(創世記 1章 2章)
- サタンは、堕落した天使。神と人間の敵の首領。神聖ならざるこの世の神。そして、サタンの終極的な運命は永遠の火の池である。(イザヤ14:12-15; エゼキエル28:11-19; マタイ25:41; 第2コリント4:4; エペソ6:10-17; ヨハネの黙示録20:10)
- イエス・キリストの処女降誕と罪なき人生『人であること」。(マタイ1:18-20; 第2コリント5:21; 第1ペテロ2:22)
- イエス・キリストの神性「神であること」。(ヨハネ10:30; 1:1,14; 第2コリント5:19)
- 聖霊は、主の教会に於けるイエス・キリストに代わる神の御業の執行者である。(ルカ24:49; ヨハネ14:16,17; 使徒行伝1:4,5,8; 2:1-4)
- 奇跡的かつ霊的顕現の賜物は、聖書が完成された時にその働きを終えて廃れた。信仰と希望と愛とが、いつまでも存続する活力ある霊的賜物である。(第1コリント 12-14章)
- 人間は、神のかたちに創造されたが、その罪なき状態から自発的に罪に堕落するまで、罪なき状態であった。そして、その堕落の結果として、すべての人間は罪人である。(創世記 1:26; 3:6-24; ローマ書 5:12,19)
- イエス・キリストの苦難と死は、全人類の罪の贖いであり、ただ信じる者にのみ罪の赦しが与えられる。(イザヤ53:6、ヘブル2:9、Ⅰペテロ2:24、Ⅰペテロ3:18、Ⅱペテロ3:9、Ⅰヨハネ2:2)
- 罪人は、神の恵みにより、イエス・キリストを信じる信仰よってのみ救われる。神の子となる必要条件は 神に対する悔い改めと主イエス・キリストに対する信仰である。聖霊は罪人に罪の意識をもたせ、新しく生まれかわらせ、神の子として証印し、安全を保証し、信者ひとりひとりのうちに宿る。(ヨハネ3:6、ヨハネ3:16-18、ローマ8:9-11、Ⅰコリント6:19-20、エペソ4:30、テトス3:5)
- イエス・キリストを信じて救われた者は、すべて、永遠に主に守られて安全であり、絶対に滅びることがない。(ヨハネ3:36、ヨハネ5:24、ヨハネ10:27-30、ローマ8:35-39、ヘブル10:39、Ⅰペテロ1:5)
- 神は信じる者自分の子として扱い、従順な者には報酬を与え、不従順な者には懲らしめをもって導く。(マタイ16:27、マタイ25:14-23、ヨハネ1:12、ヘブル12:5-11、Ⅱヨハネ1:8、黙示録22:12)
- イエス・キリストは肉体をもって復活し、昇天した。聖徒たちも同様に肉体をもって復活する。(マタイ28:1-7、使徒1:9-11、Ⅰコリント15:42-58、Ⅰテサロニケ4:13-18)
- キリストは千年王国時代の前に体を持って再臨する。それは異邦人時代の幕を閉じる最も栄光に満ちた出来事である。その時、義人の復活が起こる。そして義人は千年王国時代の後に新天新地の天国に入る。不義なる者の復活は、千年王国時代の終わりに起こり、永遠の刑罰受けるために火の池に投げ込まれる。(ヨハネ14:1-6、Ⅰテサロニケ4:13-18、Ⅱテサロニケ2:8、黙示録19章、黙示録20:4-6、黙示録20:11-15、黙示録21:8)
- イエス・キリストは、宣教中に御自身の教会を創立した。その教会は、聖書に従ってバプテスマを受けた信者が、主イエス・キリストの宣教命令を遂行するために誓約し合った個別集会である。個々の教会は独立自治の集会であり、他のいかなる教会や宗教団体からも支配されない。イエス・キリストは、新約教会に対してのみ、その不滅を約束し、宣教命令を一任した。(マタイ4:18-22、マタイ16:18、マタイ28:19-20、マルコ1:14-20、ヨハネ1:35-51、エペソ3:21)
- 主の教会には、バプテスマと主の晩餐の2つの「定め」がある。聖書に述べられているバプテスマはキリストの死と埋葬と復活を表す。また、それは悔い改めた信者が全身水面下に沈められる浸礼であって、父と子と聖霊の名において、主の教会の権威により執行されるものである。主の晩餐は、これを行う教会の会員に限定される。パンはキリストの体を、杯はキリストの血を記念する。(マタイ28:19、使徒8:12、ローマ6:4、Ⅰコリント5:11-13、Ⅰコリント11:1-2・17-20・26)
- 教会には、神によって定められた2つの職務がある。牧師職と執事職であり、テモテへの第一の手紙とテトスへの手紙に明らかにされているように、資格を有する男性によって職務を全うされるべきである。(Ⅰテモテ3:1-13、テトス1:6-9)
- 連合、協議会、委員会等すべて協力体は、まさしく教会の下に置く。(マタイ20:25-28)
- 私たちは国家の干渉なく自由に礼拝し、聖書の教えに従い、良き国民として国家の法律や規則を遵守する。ただし、神の教えと異なる場合には、神に従う。(使徒5:29、ローマ13:1-7、Ⅰペテロ2:13-15)